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- 朝日新聞夕刊で、新日本ツーリスト 野瀬が紹介されました。
朝日新聞夕刊で、新日本ツーリスト 野瀬が紹介されました。(朝日新聞夕刊)
- 2014年5月13日 朝日新聞夕刊より -
急ぐべからず道標の教え
天気予報は雨。降り出す前に距離を稼ごうと、午前9時過ぎから早足で歩いた。8番の熊谷寺を打ち、しばらく行ったところで、おばあさんに「ここ、遍路道と違うよ」と言われた。むやみに歩いたので道標を見過ごしたらしい。
すげ笠に白衣姿だったことが幸いした。普通の服装だったら、道を間違えたとは思ってくれなかったろう。
細かな雨が落ち始めたが、すぐにやんだ。9番の法輪寺を打ち、正午前に10番の切幡寺の門前に着いた。ここで、歩き遍路のガイドをしている野瀬章史さん(33)と落ち合った。兵庫県尼崎市出身の野瀬さんは「四国八十八ヶ所霊場会」の公認先達で、高松市の旅行会社に勤めている。
競馬の騎手になるのが若いころの夢だったが、24歳のときに四国を歩いてまわったことが転機になったという。
「歩き疲れたときに、おむすびをもらったり、寝る場所の世話をしてもらったり。人の優しさに感激しました。遍路文化を広く伝えたいと思い、この仕事に就きました」
歩きながら、札所や遍路の歴史を聞いた。知識を羅列するのではなく、こちらが興味を持つように語ってくれる。
道端の石碑にも、目を向けさせてくれた。「数字が刻んであるでしょう。137回目の遍路をしたときに建てたものです」と、中務茂兵衛(1845~1922)について説明してくれた。歩いて四国を巡り280回目の途中で亡くなったこの人物については、遍路関連の本を読んで多少は知っていたが、道標を見るのは初めてだった。
「茂兵衛さんの道しるべは、かなりあるんです。注意して見ていけば、結構気づくと思いますよ」と野瀬さん。
先を急いで道中を見ないのでは歩く意味がない。道に迷い反省しつつ11番札所の藤井寺に着いた。(長谷川千尋)
- 2014年5月13日 朝日新聞夕刊より -