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日経新聞に四国巡拝センターが紹介されました。

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日経新聞 2008年8月10日 四国遍路

四国遍路のハイライト75番善通寺を打ち終えると結願がにわかに具体約なものとして頭に浮かぶようになった。早くその瞬間を迎えたい。それまでの時間を少しでも長く味わいたい。相反する欲求の間を心は行きつ戻りつする。

気持ちの整理がつかないまま76番金倉寺から78番郷照寺を打ち、公園で休んでいると一人の老人に会った。年季の入った白衣と菅笠。白いヒゲを伸ばした姿は一見行者風だが、これまで何人も見てきたから〝職業遍路〟と分かる。遍路の路上生活者だ。

老人は問わず語りに身の上話を聞かせてくれる。長く大阪で日雇い仕事をしていたが体を壊して働けなくなり「死に場所を求めて」四国に来たこと。通夜堂や善根宿に泊まり、托鉢やお接待で食物を得ていること。札所で見つけた金銀錦の納め札を売って現金を手にすることもあること。遍路に優しい環境が彼の生活支えているとみえる。

老人は「うまいうどん屋知ってるさかい案内しよ」と腰を上げる。向かった先は住宅街の小さな製麺所。作業場で立ったまま食べるうどんは間違いなく絶品だ。食べ終えると老人はこちらが払うのが当然とばかり黙って姿を消してしまった。連れてきてもらわなければ美味に巡り合えなかったと思えば仕方がない。

その後うどん屋ばかり目に付くようになったのは最初の一杯で文字通り味をしめたからだったろう。讃岐うどんも弘法大師が唐から持ち帰ったといわれているから、遍路とまんざら関係なくもない。JR坂出駅の近くで長い行列の続く店を見つけた。一九三〇年創業の日の出製麺所。五、六年前の讃岐うどんプームのころ、観光客にせがまれて昼の一時間に限って営業するようになったという。

来店客は少ない日で百五十人、多いと四百人。狭い店内に入りきれず、路上で立ってまで食べる人を見ながら三代目社長の三好修さん(41)は「本業の傍らだから大変だけど、ありがたいことです。」

80番国分寺から五色台に上って81番白峯寺、82番根香寺を打ち、山を下ると高松市に入る。ここでは訪ねたい会社があった。歩き遍路ツアーを実施している四国巡拝センターだ。途中、参加者と一緒になったことがあった。どんな仕組みのツアーなのか。

担当者の山上博美さん(57)によれば、月一回集まって15-20キロ歩く。次回は前回終わった地点までバスで行って続きを歩く。これを繰り返すこと五十数回。四年半かかって全行程を踏破する。三年前にスタートし、現在七百人が「路上」にあるという。「脱落者に備える必要があるから添乗員は最低三人。もうかる仕事ではありません。」

何年かかっても歩き通そうとする人たちの気迫におされるように87番長尾寺までの道を急ぐ。“遍路の母”の手束妙絹尼いわく「人生は路上にあり」。ゴールまでの残り十数キロの間にどんな人生を見つけることができるのだろうか。

- 日経新聞 2008年8月10日 四国遍路 -

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